鹿児島・宮崎の旅

鹿児島・宮崎の旅

島津家久と佐土原城址の歴史

1.島津四兄弟の末弟「島津家久」 ①島津家久とは 島津家久(しまづいえひさ)は、島津四兄弟の末弟として日向佐土原二万八千石の太守である。同じ家久の名を持つ島津家十八代当主「島津家久」は、島津義弘(しまづよしひろ)の子「島津忠恒」(しまづただ...
鹿児島・宮崎の旅

志布志フェリー「さんふらわあ」の待ち時間にお勧め「志布志城跡」

天智天皇が由来、日本一複雑な住所である志布志城跡 まず、志布志城跡の住所は、「鹿児島県志布志市志布志町」の『志布志城跡』である。これだけ同じ漢字が並ぶ住所は珍しい。志布志の場合「志」であるが、その由来は、第三十八代天皇「天智天皇」がこの地を...
鹿児島・宮崎の旅

鹿児島市「桜島」「錦江湾」を望む絶景スポットなら島津家庭園「仙厳園」で決まりでしょう!

島津家十九代「島津光久」が築いた「仙巌園(磯庭園)」とは? 1658年(万治元)年、島津家十九代「島津光久」によって築かれた島津家別邸の仙巌園。磯庭園とも呼ばれる仙巌園であるが、名称は時代によって変化する。廃藩置県後の1957年(昭和32)...
鹿児島・宮崎の旅

岩剣城(いわつるぎじょう)の戦いで、島津義弘が祁答院良重を撃破

1.島津の「岩剣城の戦い」と「三州統一」 日新公「島津忠良」(しまづただよし)、島津貴久(しまづたかひさ)、島津四兄弟が顔を揃えた由一の戦いと伝えられる岩剣城の戦い(いわつるぎじょうのたたかい)。祁答院に本領を持ち、大隅地方に勢力を伸ばして...
鹿児島・宮崎の旅

「島津豊久」公の菩提寺・天昌寺跡(てんしょうじ)

①「島津豊久」公の菩提寺『天昌寺跡』 1385年に石屋禅師が建立した妙通寺(みょうつうじ)を天昌寺(てんしょうじ)と改名した曹洞宗の寺院。「関ヶ原の戦い」における敵中突破時に「捨て奸(すてがまり)」を決行し華々しく散った島津豊久の佐土原家は...
鹿児島・宮崎の旅

薩摩藩の外城制度「麓集落」の歴史をもつ「知覧武家屋敷」

①美しさならここ、薩摩の小京都「知覧」 ここ「知覧」は、平安時代から佐田氏が治めていたが、義久、義弘の時代には、文禄の太閤検地により一時的に「種子島久時」が移封される。結局のところ、種子島氏は、種子島に戻ることで佐田氏が再び知覧を納めること...
鹿児島・宮崎の旅

薩摩の心「島津義弘」公の騎馬像

1.日本一カッコいい島津義弘の騎馬像 「明くれど閉ざす 雲暗く」から始まる、妙円寺詣りの歌からも描かれる、関ヶ原の戦い。その関ヶ原の合戦における「敵中突破」(てきちゅうとっぱ)を再現するが如く、勇猛果敢な島津義弘公の像が伊集院駅前にその存在...
鹿児島・宮崎の旅

「島津義久」が晩年の居城とした鹿児島県霧島市「国分城」(舞鶴城)

「島津義久」公、晩年の城である鹿児島「国分城」 島津家第十六代当主である島津義久は、秀吉の九州征伐以降、「富隈城」そして、「舞鶴城(国分城)」へと本拠を移した。義弘の代になっても、影の権力者としての存在感を示した義久であったが、関ヶ原の合戦...
鹿児島・宮崎の旅

島津義弘公を祀る徳重神社(とくしげじんじゃ) を目指し、妙円寺詣りの若武者が鹿児島を奔ります

「島津義弘」公を祀り、妙円寺(みょうえんじ)が廃仏毀釈にて廃寺後に創祀される。 現在の徳重神社に安置されている御神体(義弘公の木像)は、もともと妙円寺(妙圓寺)に存在していたものであり、「西郷隆盛」「大久保利通」なども、「妙円寺参り」には夜を徹して歩き参拝したと伝えられる。
鹿児島・宮崎の旅

薩摩の猛将「島津義弘」と島津義弘公の菩提寺「妙円寺」

1.薩摩の猛将「島津義弘」とは 島津義弘(しまづよしひろ)は、薩摩島津氏十七代当主であり薩摩の猛将である。祖父にいろは歌でも有名な「島津忠良」(しまづただよし)、父に十五代当主「島津貴久」(しまづたかひさ)を持ち、兄弟には、島津義久(しまづ...