家康は完全に、自分に従わない豊臣派の巨大勢力に的を絞っている。
我が物顔で大坂城へ入り、諸大名との勝手な縁組。
そして三成を失脚、前田家服従をさせてしまった家康はついに勝負に出た。
会津百二十万石、上杉景勝を職務のため大坂城へ呼び寄せる使者を送った。
景勝は来る筈がないと計算した上である。
案の定、景勝は来ない。
しかも景勝の重臣、直江兼続が家康を皮肉る書状を送りつけたのである。
この書状は、直江書状と呼ばれた。
家康は激怒するが、内心は喜んでいた。
<よい、きっかけじゃわい>
「豊臣の大老であるわしが上洛せよと申しておるは、秀頼様が申しておるのと同じ事ぞ」
家康は相変わらず、大袈裟な言い方で吼える。
「致仕方ない、これは謀反じゃ。各々方、上杉征伐じゃ」
これには、だれも反論できない。
こうして家康の一言で、上杉の会津征伐が決定された。
「秀頼様,いまだ上洛を拒む上杉を征伐致しまする。秀頼様に従わぬものは全てこの家康が退治致しまするゆえ、ご安心くだされ」
家康が薄ら笑いを浮かべる。
<これで、乱が始まるわい>
この会津征伐を契機に、家康の天下取りが本格的に始まるのである。
[家康の天下騒乱計画]
1.伏見にて諸大名との繋がりをもつため、各屋敷を訪問する。
2.利家、三成に諸大名との繋がりを阻止され、伏見に滞在する。
3.家康に習い、伏見に滞在する諸大名との繋がりを取りだす。
4.秀頼への年賀挨拶を名目に大坂城へ入る。
5.加藤清正はじめ、反三成派の三成襲撃事件の処罰として、三成を伏見へ飛ばす。
6.ご法度である、諸大名との勝手な縁組を行う。
7.利家死後、加賀百万石の当主、利長を家康暗殺の汚名をきせ服従させる。
8.会津百二十万石の上杉景勝を上洛しない事を理由に、征伐軍を編成する。
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