日新公「島津忠良」、貴久、島津四兄弟が顔を揃えた由一の戦いと伝えられる岩剣城の戦い。
祁答院に本領を持ち、大隅地方に勢力を伸ばしていた祁答院良重は、蒲生範清ら大隅の豪族と図り、島津貴久に反旗を翻す。
蒲生軍が、配下の肝付氏が守る「加治木城」を攻撃し戦いが始まった。
加治木城を救援すべく、島津忠良、貴久親子が出陣するが、目障りな城があった。
岩剣城である。
忠良、貴久親子は、まず「岩剣城」を攻めるため、島津義久、義弘兄弟を差し向ける。
この時、「息子たちである兄弟のうち、一人の命を落とさなければ落ちないであろう」と岩剣城攻めの難しさを嘆いた。
この岩剣山は独特の形にて、近くでを見上げれば「剣」のイメージが容易に付く。
しかし、岩剣城攻城戦に島津義久、義弘、歳久が活躍。
この時、義弘自らが鉄砲を使用したなど、国内で初めて鉄砲が実戦に用いられたとして知られる。
岩剣城攻城戦に勝利した島津家は、その勢いで「三州統一」を成し遂げる。
岩剣城跡(鹿児島県姶良市平松)岩剣神社


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