1  伏 龍

「死んだか」
満面な笑みを浮かべるのは、内大臣(内府)こと徳川家康である。
日の本で、この時を一番待ったのが、この家康であろう。
「半三、すぐに正信を呼べ」
いつのまにかに半三の姿が消えた。
半三とは、かの有名な忍び服部半蔵正成の子、半三正就である。
徳川には、もう一人半蔵がいる。
徳川旗本の渡辺半蔵守綱である。
槍使いの達人であることから、槍の半蔵と呼ばれている。
この半三の父「半蔵正成」と渡辺半蔵で、徳川両蔵と呼ばれていた。
「遂に死んだか。随分と待った」
家康は、これまでの人生、苦労の連続であった。
幼少より今川義元の人質となり、解放されたと思いきや織田信長がいた。
その信長も本能寺にて明智光秀の謀反で世を去ると、今度は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が立ちはだかった。
東海道一の弓取りと評されながらも、常に二番手に甘んじてきたこの男は、決して天下取りの野望を諦めることなく、着実に実力をつけてきた。
今まさに、伏龍の如く沼中から一気に天に上る機会がやって来たのだ。

2  密 談

家康のもとに三人の男がやって来た。本多親子と南光坊天海である。
本多親子とは、徳川の某将本多正信とその子、本多正純の事である。正信は主に徳川の政略面を担当している。
南光坊天海は影の参謀の役割を担っており、家康の相談相手となっている。
「殿、やっとこの時が来ましたな」
「おう、待たせよって。しぶとい奴じゃったわ」
「それでは殿、兼ねてよりの策を実行に移すのでござりまするか?」
「慌てるでない正純、まずは諸大名に怪しまれずに大阪城に入り主導権を握ることじゃ」
家康が正純をたしなめる。
「正信の言う通りじゃ正純。向こうにはまだうるさい年よりが一人いるからの」
うるさい年よりとは大納言、前田利家の事である。利家は家康と張り合える唯一の存在であり、その気になれば諸大名の大半は利家に味方すると言われる程の人徳の持ち主である。
「聞けば利家殿は、大分お体の調子が悪いとの事。以前のように先頭きって意気込んでくる事はないと思われますが」
「まあ、どちらでもよいわい。奴が生きておる間でも、やる事が山ほどあるからの」
「天海、まず何から始める?」
「まずは、大阪城に入り諸大名との繋がりをとりながら、徐々に問題を起こしていけばようござろう」
家康が頷く。
「そうじゃのう、とりあえずは諸大名の動向でも探るとするか」
こうして密談が淡々と続き、終わった時には既に空は明るくなっていた。

3 駆け引き

家康は兵二千のみを率いて京都の伏見城へ入った。
伏見城は豊臣政権の政務を行う拠点である。
伏見城に五大老及び、五奉行が集まった。今後の体制を確認するためである。
当時、豊臣政権では五大老、五奉行制というものを執っていた。
五大老とは徳川家康、前田利家この二人が筆頭格で、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家がいる。
五奉行とは浅野長政、増田長盛、石田三成、前田玄以、長束正家である。
秀吉は遺言にて、五大老及び、五奉行合議の上で政を行う事と残している。
家康は伏見に入りすぐ諸大名の屋敷を訪問した。特に石田三成嫌いの諸大名に的を絞った。加藤清正、福島正則、細川忠興等である。
三成は、豊臣政権を実質的に動かしている実力者であり、カミソリの様な男として他の大名より恐れられている。
その割には義にあつく、曲がったことを好まない。要するに頭が硬いのである。
そのために敵が多い。
三成は、家康のこの動きを警戒した。その事について利家に頼み込み、家康と諸大名を切り離すために太閤秀吉の遺書を持ち出
し、家康は伏見城で政務をとり、他は伏見にて政務を行う以外は秀頼と供に大阪城へ移ることを表明したのである。
秀吉の遺書には、家康は伏見にて政務を行い、利家は秀頼を後見するため大阪城に入る事が記されている。
「やられたな、まさか遺書まで持ち出すとは」
家康は、爪をかみながら苦笑した。
これで家康は、諸大名との繋がりをもつのが少々困難となった。
まずは、三成の勝ちである。

4 大坂城入り

諸大名の大阪城移動が表明されたにも関わらず、動かない大名がいた。加藤清正、福島正則等、反三成派の大名である。
これには家康は喜んだ。家康は、この移動で自分側につく大名に目処をつけたかったのだ。
「うむ、まずまずじゃな」
加藤清正に限っては、朝鮮より帰還してから何を考えているのか、本拠である熊本にも帰っていない。
家康は、あいかわらず伏見に残った諸大名に繋ぎを取り続ける。
「伏見に残った諸大名の繋ぎはこれでよかろう」
正信が応える。
「はあ、もう一度ここにいる以外の諸大名との繋ぎを取りたい所でございまするな」
家康が不敵な笑み浮かべる。
「正信、秀頼様へのあいさつを名目に大阪城へ入るぞ。挨拶に行くのは勝手じゃからの」
家康は、秀頼への年賀挨拶を口実に、大坂城へ入る事にしたのである。
早速家康は強引に大阪城へ入った。
「秀頼様、家康でござりまする。秀頼様のためこの爺が身を粉にして働きまするゆえご安心くだされ」
秀頼は未だ十一歳、何を言われてもただ返事をするだけである。
三成が冷たい視線を送っている。
<はよう伏見へ帰れ・・・>

5 三成襲撃

その夜事件が起こった。加藤清正をはじめとする豊臣子飼いの武闘派大名が、三成を襲った。

豊臣子飼いには武闘派と文官派がある。

武闘派は加藤清正、福島正則、細川忠興、黒田長政、加藤嘉明、浅野幸長、池田輝政等である。

文官派は主に石田三成、長束正家等で小西行長等はこれに仲がよい。

武闘派と文官派は常日頃から仲が悪い。

現代で言えば事務と現場のようなもので、お互いの立場、主張ですれ違いがある。

朝鮮の役でも現場の武闘派が事務の文官派に讒言されて秀吉に報告されたという遺恨があった。

喧嘩は喧嘩でも主張しあった結果、お互いを伸ばしていくのなら未だよい。

しかし大体は内部にていがみ合い、つぶし合うのが殆どである。

現代社会でも大企業になればなるほど、こういう傾向があるのではないか。

この両派を収めるのが上に立つものの大事な仕事の一つである。それが秀吉だった。

しかし、その秀吉は今はいない。

そんな中、逃げ場のない三成は思わぬ行動に出た。家康のもとへ逃げたのである。

なぜ敵であるはずの家康のもとへ逃げたかというと、三成は分かっていたのである。自分を利用して豊臣の武闘派と文官派に

完全な亀裂を入れようと策していることを。

<家康め、火種のわしを殺せまい>

結局武闘派たちは、家康に説得され三成を打つことが出来なかった。

三成は心の中で叫んだ。

<わしの勝ちじゃ>

しかし、家康はこの事件を起こした原因は三成にもあるとし、自分の代わりに伏見城へ移り政務を行う事とした。

家康が大坂に入ってからは、伏見には政務を行うために残っている、ごくわずかな大名しかいなかった。

殆どは大坂に移ったのである。

だれもいない場所へ三成がいる事になり、逆に家康はまた大阪城にて、諸大名との繋がりをとり始めた。

第二ラウンドは家康の勝利と言えよう。

 

6 策 略 1

三成が伏見へ移動した。

三成の姿が大坂城より消えると、ますます家康の横暴があからさまになってきた。

ご法度である諸大名との勝手な縁組を行うなど、歯止めがきかない状態となった。

正信が大声で騒いでいる。少々わざとらしい。

「殿、との! こんな所におってはあぶのうござりまする!」

そこに五奉行の一人、増田長盛が駆け込んで来た。

「如何致した」

「如何も何もござらぬ。わが主、家康を暗殺する者がおるとの噂が流れておりまする」

長盛は驚き、答える。

「まさか! こちらでお調べ致すが、安全のため伏見へ帰っては如何でござるか?」

「そのようにいた....」

正信が言い掛けた時、家康が叫んだ。

「なんでこのわしが逃げねばならんのじゃ。そんな噂で逃げたとあっては笑いものじゃ。噂の真偽が分かるまで大坂を動かぬぞ」

こうして家康は、大阪城西の丸へどっしりと腰を落したのであった。

 

7 策 略 2

雨が降る夜、前田利家がこの世を去った。

家康封じに精魂を使い果たしてしまったのであろうか?

家康の活動はますます活発になる。

次に謀略の餌食に選んだのは、利家のいない加賀百万石の前田家であった。

家康としては、百万石を領するこの大大名を放っておく分けにはいかない。

そこで家康は、強引な手に出た。

利家の子、利長は利家葬儀のため、居城である金沢城へ帰っている。

そこで先ほどの家康暗殺騒ぎは利長が起したとでっちあげたのだ。

しかも、あわよくば豊臣家に謀反を起そうとしていると。

利長は混乱した。完全な言い掛かりである。しかし利長には家康と張り合えるだけの器量がない。

家康の要求は利長の母、芳春院である。

つまり芳春院の人質は前田家の服従を意味する。実際それほどの人物であった。

家康の力、前田家の存続を考えた芳春院は、江戸へ行く事を決意した。

利長は悔やみながらも、何も出来ず母の芳春院を人質として江戸へ送ったのであった。

前田家は、芳春院が人質となったことで、徳川には逆らえない状態となった。

これで大坂側には、完全に家康と張り合える人材がいなくなってしまった。

 

8 策 略 3

家康は完全に、自分に従わない豊臣派の巨大勢力に的を絞っている。

我が物顔で大阪城へ入り、諸大名との勝手な縁組、三成を失脚、前田家服従をさせてしまった家康はついに勝負に出た。

会津百二十万石、上杉景勝を職務のため大阪城へ呼び寄せる使者を送った。景勝は来る筈がないと計算した上である。

案の定、景勝は来ない。

しかも景勝の重臣、直江兼続が家康を皮肉った、書状を送ったのである。

この書状は直江書状と呼ばれている。

家康は激怒する。が内心は笑っていた。

<よい、きっかけじゃわい>

「豊臣の大老であるわしが上洛せよと申しておるは、秀頼様が申しておるのと同じ事ぞ」

家康は相変わらず、わざとらしい言い方で吼える。

「致仕方ない、これは謀反じゃ。各々方、上杉征伐じゃ」

だれも反論できない。

こうして家康の一言で上杉の会津征伐が決定された。

「秀頼様,いまだ上洛せぬ上杉を征伐致しまする。秀頼様に従わぬものは全てこの爺が退治致しまするゆえ、ご安心くだされ」

家康が薄ら笑いする。

<これで、乱が始まるわい>

こうして家康の天下取りが本格的に始まった。

 

[家康の天下騒乱計画]

1. 伏見にて諸大名との繋がりをもつため、各屋敷を訪問する。

2. 利家、三成に諸大名との繋がりを阻止され、伏見に滞在する。

3. 家康に習い、伏見に滞在する諸大名との繋がりを取りだす。

4. 秀頼への年賀挨拶を名目に大坂城へ入る。

5. 加藤清正はじめ、反三成派の三成襲撃事件の処罰として、三成を伏見へ飛ばす。

6. ご法度である、諸大名との勝手な縁組を行う。

7. 利家死後、加賀百万石の当主、利長を家康暗殺の汚名をきせ服従させる。

8. 会津百二十万石の上杉景勝を上洛しない事を理由に、征伐軍を編成する。

 

前田利家を調べる → 金沢戦国物語~大城下町金沢形成と前田利家の苦悩を旅する

① 第一章・「槍の又左」いざ北陸へ~利家、若き日の想い

② 第二章・利家、金沢城へ~一向宗との戦いから得た真宗王国の改造

③ 第三章・金沢寺院群と宗派の関係~ここでも、一向宗との戦いの記憶を生かす