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鹿児島・宮崎の旅

薩摩の猛将「島津義弘」と島津義弘公の菩提寺「妙円寺」

1.薩摩の猛将「島津義弘」とは 島津義弘(しまづよしひろ)は、薩摩島津氏十七代当主であり薩摩の猛将である。祖父にいろは歌でも有名な「島津忠良」(しまづただよし)、父に十五代当主「島津貴久」(しまづたかひさ)を持ち、兄弟には、島津義久(しまづ...
鹿児島・宮崎の旅

「出水武家屋敷」島津外城の歴史を持ち、肥後国境における重要拠点

大口(現在の伊佐市)と共に肥後国境を守る、出水武家屋敷跡(いずみぶけやしきあと) 薩州島津家、島津忠辰の本拠であったが、外城として整備されされたのは、忠辰改易後三十年後である。出水小学校正門は、殿様来訪時の宿舎である御假(おかけ)の名残で、...
鹿児島・宮崎の旅

心岳「島津歳久」と竜ヶ水の「平松神社」

1.島津歳久とは 1563年(永禄6)から松尾城(吉田城)に入り、大隅国吉田院の領主となり、1580年(天正8)吉田院から自害するまでの間、祁答院の領主として活躍する。歳久は、兄「島津義弘」(しまづよしひろ)をも凌駕すると言われ、武略の歳久...
鹿児島・宮崎の旅

「島津義弘」公を祭神とする加治木町『精矛神社 』(くわしほこじんじゃ)を訪ねて

精矛神社 関ヶ原の戦い後に、家督を子「島津忠恒」(後の十八代当主「島津家久」)に譲り、自身は、加治木(鹿児島県姶良史加治木町)に隠居する。義弘の神号は、精矛厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)。義弘の神号から精矛神社(くわしほこじんじゃ...
外伝・九州三国志

九州三国志~4.島津家の賭け

①義久、義弘、歳久、それぞれの思惑 なんと関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)から安堵されたのは薩摩一国のみであった。島津義久(しまづよしひさ)は、お家存続のためやむを得ず降伏したが、義久は悪感を覚えた。弟達の行動である。“義久降伏”それは...
外伝・九州三国志

九州三国志~3.第二次九州征伐

①豊臣秀吉軍は大きく二方面より義久に迫る。 第一次九州征伐にて大敗を喫した豊臣軍は、関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)自らが腰を上げた。秀吉軍は、大きく二方二面より九州に進軍し、秀吉本隊は、熊本・八代より、別働隊は秀吉の弟「豊臣秀長」(と...
外伝・九州三国志

九州三国志~2.第一次九州征伐

①九州平定間近の島津軍に、関白秀吉が激怒。 島津義久(しまづよしひさ)率いる島津四兄弟の九州制覇戦もほぼ完成する。この報は直ちに大阪の関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)に届けられた。大友宗麟(おおともそうりん)が、秀吉に泣きついたのである...
外伝・九州三国志

九州三国志~1.島津四兄弟の九州制覇戦

①島津北上!九州制覇戦の始まり 1586年(天正14)、関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)は、中国の毛利輝元(もうりてるもと)、四国の長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し徳川家康(とくがわいえやす)をも従えた。全国制覇もほぼ完成しつ...