九州三国志~3.第二次九州征伐

外伝・九州三国志

①豊臣秀吉軍は大きく二方面より義久に迫る。

第一次九州征伐にて大敗を喫した豊臣軍は、関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)自らが腰を上げた。
秀吉軍は、大きく二方二面より九州に進軍し、
秀吉本隊は、熊本・八代より、別働隊は秀吉の弟「豊臣秀長」(とよとみひでなが)が豊後、府内より薩摩を目指した。
第二次九州征伐における動員数は、その数二十万と伝えられる。
あまりの大軍に島津義弘(しまづよしひろ)は支えきれずと判断し、豊後からの撤退を始める。
そして日向高城をめぐり戦いが始まった。
勇猛で知られる島津忠長(しまづただなが)も援軍に向かったが、高城も支えきれず、島津軍が薩摩へ撤退。

八代からも秀吉本隊が進み、薩摩本国に危機が迫る。
迷う島津家当主「島津義久」(しまづよしひさ)。
義弘はじめ、義久を除く薩摩精強軍団は徹底抗戦の構えを崩さない。
秀吉軍がせまる中、義久決断の時が迫る。

島津義久、無念の降伏 ※画像は川内戦国村

②大将「島津義久の決断」

八月、秀吉は肥後佐敷から出水に入った。
「一層の事、戦って果てるか」
「ここまで堂々と関白相手に戦った事で十分ではありませぬか」
義久と家臣とのやり取りが続く。
「関白に会おう・・・」
義久は遂に決断した。
既に川内(せんだい)には、秀吉軍が入り泰平寺(たいへいじ)を本陣としている。
そして、泰平寺にて義久が秀吉の前に進んだ。
〈このような男が関白なのか・・・猿〉
義久はプライドが高く、心底、力の違いを悔やんだ。
秀吉が判断を下した。
秀吉答えは薩摩一国のみの安堵であった。
第二次九州征伐は、まだ終わらない。

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