2018-11

鹿児島・宮崎の旅

「出水武家屋敷」島津外城の歴史を持ち、肥後国境における重要拠点

大口(現在の伊佐市)と共に肥後国境を守る、出水武家屋敷跡(いずみぶけやしきあと) 薩州島津家、島津忠辰の本拠であったが、外城として整備されされたのは、忠辰改易後三十年後である。出水小学校正門は、殿様来訪時の宿舎である御假(おかけ)の名残で、...
鹿児島・宮崎の旅

心岳「島津歳久」と竜ヶ水の「平松神社」

1.島津歳久とは 1563年(永禄6)から松尾城(吉田城)に入り、大隅国吉田院の領主となり、1580年(天正8)吉田院から自害するまでの間、祁答院の領主として活躍する。歳久は、兄「島津義弘」(しまづよしひろ)をも凌駕すると言われ、武略の歳久...
鹿児島・宮崎の旅

「島津義弘」公を祭神とする加治木町『精矛神社 』(くわしほこじんじゃ)を訪ねて

精矛神社 関ヶ原の戦い後に、家督を子「島津忠恒」(後の十八代当主「島津家久」)に譲り、自身は、加治木(鹿児島県姶良史加治木町)に隠居する。義弘の神号は、精矛厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)。義弘の神号から精矛神社(くわしほこじんじゃ...
外伝・九州三国志

九州三国志~4.島津家の賭け

①義久、義弘、歳久、それぞれの思惑 なんと関白「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)から安堵されたのは薩摩一国のみであった。島津義久(しまづよしひさ)は、お家存続のためやむを得ず降伏したが、義久は悪感を覚えた。弟達の行動である。“義久降伏”それは...