①伊藤祐兵に島津のお家芸「釣り野伏せ」が炸裂。

翌朝、飫肥城(おびじょう)近くに、島津方の将の一人、川上忠克(かわかみただかつ)が百人程の少人数にて城下を焼き払いに出撃した。
城より数百の伊藤勢が討って出るも島津勢が逃げる。
伊藤勢が城へ引き上げることを確認し、忠長が指令を出す。
「まだ少ない、今少し兵を誘き出せ」
昼過ぎ、また島津勢が少人数にて城下を焼き払った。
城より数百の伊藤勢が討って出ると、またまた島津勢は逃げる。
こんなことを何回か繰り返し続けた。
夕方になり、再度島津勢が城下を焼き払うと、遂に伊藤勢が五百を超える兵を押し出し、
本格的に島津勢に襲いかかって来た。
島津勢が意図的に遅れながら逃げる。
本陣より見つめる忠長が吼える。
「とうとう来たな」
島津軍前衛の目の前に、逃げる島津勢を追うように伊藤勢が迫ってきた。
「よし! 左右へ開け」
左右に開く島津勢を見た伊藤勢は、島津が逃げたものと勘違いし調子に乗り深追いしてきた。
その後、伊藤勢の後方から黒十字の旗がなびく。
前日、山林に姿を隠した隊である。
黒十字は薩摩島津の紋章である。
「しまった! 囲まれたか」

日南市「飫肥城」

②島津忠長、伊藤祐兵率いる伊藤軍の殲滅を画策する。

伊藤勢が気付いた時には、周りは全て島津勢に囲まれていた。
忠長が冷酷に言い放つ。
「城方の伊藤勢にも見えるよう、ゆるりと殺れ」
島津勢は伊藤勢を囲みながらも、一気に攻めない。
殆ど、なぶり殺し状態である。
暫くの間、この残酷ともいえる殺戮が続いた。
この状況に、城方の伊藤祐兵(いとうすけたけ)の我慢が限界に達した。
「囲まれておる我が兵を救出せよ」
城方の伊藤勢が討って出る。
これを“待ってました”とばかりに、種子島「赤尾木城」の城主「種子島久時」(たねがしまひさとき)が城より討って出た祐兵本隊を迎え討つ。
久時が敵将の伊藤祐兵を討ち取るにはたいした時間は必要なかった。
ものの見事に祐兵は、島津の策略に引っかかったのである。
餌さである少数部隊が相手を煽り、わざと引く。
そして相手が飛び込んで来た所で伏兵が退路を絶ち、袋の鼠状態にする。
これが世に言う島津の「釣り野伏せ」(つりのぶせ)である。
明軍二十万を破った朝鮮の役でも、釣り野伏せをマクロ的に応用している。
今回も、このお家芸にて伊藤家を短時間で壊滅に成功。
日向南部の制圧に成功したのであった。

島津忠恒の強かさと、怯える小西家 | 第四章・3・深謀冷徹


3件のコメント

第10章・⑨釣り野伏せ・改 | 家康に言葉での「釣り野伏せ」を仕掛ける島津義弘 · 2022年2月27日 3:37 PM

[…] 徳川家康は、己以外の諸将が、何やら企んでいる事に気が付き始めた。そこで、島津義弘が静かに呟く。「釣り野伏せ」家康は、視線を義弘に向けた。<はあん、つりのぶ・・>家康が、はっと気が付いた。<しまった>義弘をはじめ、他の諸将達は、敢えて家康の調子を乗らせ、ボロを出させるのが狙いであった。つまり、言葉での「釣り野伏せ」を仕掛けたのである。そこに、前田利長が冷たく言い放つ。「家康殿は、証拠もなく噂のみでこの前田を謀反扱いしたが、家康殿も、噂のみで謀反扱いにしてもよいという事ですな」家康の表情に、先程までの余裕がなくなっていた。普段は、言葉少ない上杉景勝が口を開く。「前田殿、秀頼様の許可があれば、会津・・ではなかった、江戸征伐を行ってもよいのではあるまいか」景勝が、利長に微笑みかけた。「それに藤堂高虎殿が、前田家謀反の噂を本多正信より指図されたと言っておりまするが」家康の顔が、真っ青になった。<高虎め。しかしなんでじゃ> […]

スズメバチとの激闘日記 · 2022年9月6日 10:48 PM

[…] ⑤5日目いよいよ本日、決着を付ける日が来た。戦術は無論「釣り野伏せ」である。「釣り野伏せ」とは、薩摩「島津家」のお家芸である。防御壁を外すと、ボロボロと討ち死にしたハチが落ちてくる。その数、およそ五百。そして、遂にわずかであるが親衛隊が討って出てきた。しかし、そこには、予め仕掛けておいたネットが待っている。可哀そうではあったが、心を鬼に静かに討ち取った。すかさず外の出入り口を見ていると大きなハチが。これは、まさか「女王バチ」か?それにも非情にもスプレー砲が襲い掛かる。 […]

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