①黒田如水を討ち、ここに新「九州三国志」も完結する。

島津軍は黒田如水を討ち、北九州を手中に治めた。
九州で残すは加藤清正の肥後熊本のみとなった。
しかし、九州一の難攻不落の城、熊本城にあの加藤清正が篭っている。
熊本城は、城攻めの名人であった秀吉の攻城術を受け継いだ清正が研究を重ねて造った傑作である。
おそらく五万の兵で攻めてもそう簡単には落ちそうではない。
忠恒は困った。
<せめて、清正が城から討って出て来てくれればよいものを>
丁度その時、関ヶ原に布陣する義弘からの書状が届いた。
清正を討つべからずという内容である。
理由としてはこうである
・熊本城攻めに時間をかけるは愚策である。
・熊本城を攻める間があったら、中国又は四国に攻め込め。
・清正は、熊本城に閉じ込めておくだけで十分である。
・清正は殺すには惜しい武将であり、利用価値がある。
他に、義弘が関ヶ原にて時を稼げるのはあと僅かである。
あと十日が限界であろうと。

②「島津義弘」から「島津忠恒」へ中国・四国進出の指示が届く。

忠長が忠恒に問いかける。
「義弘様は、何と申されておられる」
忠恒が説明し清正征伐中断を決定した。
「叔父上には申し訳ないが、府内より水軍を手配するゆえ四国土佐の長曾我部を攻めてもらいたい」
忠長が承諾する。
「盛親のいない手薄の長曾我部を攻め、義弘様の撤退を援護するのでござるな」
忠長は聡明である。
早速、府内より船団を従え四国の土佐へ出兵した。


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