幕府体制について、話し合いがされた。
まず右大臣として・徳川家康が征夷大将軍として政権を司る。
秀吉の後継となる、関白は空白となる。
その他、内大臣として伊達政宗の名前が挙がった。
その他は以下の通り。
大納言  島津忠恒
中納言  前田利長、上杉景勝、毛利秀元、宇喜多秀家
これ以前に毛利輝元は、秀元に家督を譲り引退。
秀元が、毛利の総帥となった。
体制としては、日本三分の計により、北は奥州独立連合、中央は幕府の徳川、南は島津がそれぞれの地方として分けられ、三者
が互いに牽制し、独裁を防ぐ事にする。
役職は地方三大老が最高決定権をもち、奉行が実際この指揮にあたる。
役職は以下の通り。
北部地方大老   伊達政宗
中央地方大老   徳川秀忠
南部地方大老   島津忠恒
奉行      松平忠吉、島津豊久、佐竹義宣、上杉景勝、前田利長、毛利秀元、宇喜多秀家
貿易に関しては、問題が多々あるが各地方が決定する。
そして、最後に一番の問題である所領割りが決定された。
まず、地方割りが決定された。
上杉家は、奥州独立連合であった北部地方に属す。
前田家、毛利家は中央地方に属す。
地方石高は以下の様な結果となった。
北部地方    四百二十万石
中央地方    七百二十万石
南部地方    四百四十万石
これで大方の幕府体制が決定されたのであった。

後は、正式に朝廷の認可を受けるだけである。


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