二回目の利根川の合戦に敗れた家康は、武蔵国境まで兵を引き防備を固めた。
数日後、南部戦線の島津陣にも徳川が敗れた報せが入った。
これには、義弘が喜んだ。
<流石は、奥州の独眼龍>
「よし、一気に家康の倅を追い返すど」
義弘は、忠恒のいる出雲へ向った。
この時、山陰での島津の前線拠点は出雲であった。
義弘が、出雲へ到着し早速軍議を開く。
家康が敗れ、中国方面の徳川方は完全に防御に徹している。
これでは、秀忠を煽って誘き出す事は難しい。
義弘が口を開く。
「今回は、徳川勢を中国山陽より追い出す」
義弘は、これから行う決戦で徳川を中国山陽より排除し、南方面を完全に制圧する。
これを完結次第、当初よりの予定であった日本三分の計は詰めの段階に入る。
また、これを最終決戦とするつもりでいた。
軍議が進み、基本的な作戦が決定された。
山陽安芸には、総大将として忠恒が向う。
周防方面より島津豊久が向う。
敵兵の大半は毛利勢である。
そのために義弘にはある考えがあり、中国山陰を東へ侵攻する事にした。
家康が勢いを取り返すまでに、早々に勝負を着けなければならない。
義弘が叫ぶ。
「忠恒! 直ぐに安芸に向え!!」
こうして忠恒率いる島津軍は、山陽安芸へ向って南下を始めた。
第九章・最終戦争 | 毛利輝元、吉川広家を追い詰める九州連合
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広家からの書状が届いた次の夜、秀包が島津勢を広島城内部に導いた。輝元の 続きを読む…
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