忠恒が率いる島津軍は、安芸に侵攻し太田川を挟み徳川軍と小競り合いを繰り返している。
豊久率いる島津軍が、広島城の西側に陣を張る。
対する徳川方は、広島城を本陣に本丸に秀忠が入っている。
毛利輝元は、本丸を秀忠に譲り西の丸へ入り、豊久率いる島津軍への備えを担当した。
忠恒が呟く。
「流石は毛利の居城。なかなか堅固じゃわい」
広島城は、平城でありながらも太田川、元安川が入り乱れ天然の要害となっており、南には広島港があり海路に繋がっている。
忠恒は釣り野伏せを行うべく、少数部隊を差し向けたが、流石に引っかからない。
前線には榊原康政が構え、釣り野伏せにかからぬよう徳川軍をしっかり抑えていた。
西側には、毛利秀包が陣を構え、豊久の軍を見事に防いでいる。
秀包は、毛利元就の九男で、智将、小早川隆影は兄にあたる。
しかし、男児に恵まれなかった隆影は弟である秀包を養子としたが、豊臣家より秀秋を迎えたため、姓を毛利に戻している。
元就の才を受け継いでおり、智将である。
圧倒的人数で守る、広島城は落ちるどころか前衛も突破できない。
しかし、ある書状がもとに事態が急転する。
輝元が、秀包を呼び寄せる。
「広家より書状が届いた」
秀包が書状を読み終わると輝元を睨んだ。
「関ヶ原では動かず、またもこんな事をしたら毛利の名が廃りますぞ」
輝元が口ごもる。
「しかし、広家がのう」
秀包としても、本心は島津に乗った方がよいと思っている。
しかし、毛利の武名を一番に考えたのであった。
その後、秀包が説得を行うが、広家の考えを重視する輝元の考えは変わる事がなかった。


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