①上杉景勝と和議を結んだ伊達政宗は、若き将達と関東進出を着手。

後尾の憂いがなくなった政宗は、独連の大部分を関東に集中する事が可能になった。
政宗は、上杉より米沢、木曾福島などを譲り受ける条件で、会津に侵攻する結城秀康を征伐する事となった。
いずれにしても、関東進出のためには避けては通れない敵である。
政宗は、まず岩城の佐竹氏の勧誘を行う。
佐竹氏は、東西決戦時、上杉家と実懇にしており上杉を援護する構えを取っていた。
そのため、現在は日立五十六万石から岩城二十四万石に減封されている。
奥州では、大の政宗嫌いが多い。
南部利直の父、信直。
相馬利胤の父、義胤等が、その代表格である。
そして、佐竹家の前当主、義重も大の政宗嫌いである。
それだけ、政宗により辛酸を嘗める経験をした過去があるのだ。

②南部利直、相馬利胤、佐竹義宣、は全て奥州大名の次世代達である。

現在の佐竹家当主は、義宣である。
父である義重を刺激しないように、若い南部利直、相馬利胤が使者として向った。
「よう参られた、利胤殿」
利胤と義宣は顔見知りである。
「要件は察しがつくが、我が佐竹は見ての通り、もう牙を抜かれてしもうた」
義宣は、以前のような覇気がなくなっている。
利胤が義宣を説得する。
「それで本当によいのでござるか?」
義宣の目は閉じたままである。
そんな義宣に利直が話始めた。
「それがしは独連結成以来、短い間ではあるが政宗殿に従い、一つ気付いた事がござる」
「それは、兵はもとより、民、百姓までの顔が活き活きとしておるよう見えまする」
利胤が同感する。
「そういえば、そうでござるな。なにやら政宗殿には何か分からぬが魅力を感じるの」
「野心を漲らせながらも、どこか明るさがある」
そして、利直が島津家との構想を話し出した。
すると義宣の表情に迷いが消えた。
「実は、上杉の直江殿からも書状が届いており、独連に入るよう勧めてきた」
直江兼続は、もともと政宗と反りが合わない。
しかし、米沢丘での戦いの中で、油断は出来ないが政宗の魅力を多少は感じたのだろう。
少なくとも、家康よりかは信用出来ると。
暫くして義宣が結論を出す。
「それがしも、伊達殿と共に戦いまするぞ」
こうして佐竹義宣も独連に参加した。


続きを読む
第8章・関東争奪戦 目次へ


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です