独眼竜の策略第一弾、和賀一揆。南部信直に衝撃が走る。

軍議から間もなく、早速南部領の一揆勢が動き出した。
南部方の支城を、次々に攻め出したのである。
計画通り、南部家に書状にて支援要請を問う。
その書状の中身の一部はこうである。

・一揆が伊達領にも広がらないうちに、早期鎮圧を願う。
・強兵の南部勢であるから心配無用と存ずるが、及ばぬ場合は、伊達勢が早々に一揆鎮圧軍を差し向けるゆえ・・・

この書状を見て南部信直は激怒した。
「なめおって、伊達の力など借りるまでもないわ」
信直は、要らぬ世話といって使者を帰した。
翌朝、援軍を断られたにも関わらず、伊達軍が南部領に入った。
不来方城(こずかた)[盛岡]から出撃した南部方の将「北信愛」が困惑している。
「なぜ、伊達が来るのじゃ?援軍を拒否した筈。伊達方の将は誰じゃ?」
「白石宗直でございまする」
「あの、宗実の息子か?」
宗直は、白石宗実の息子である。
「宗直殿に援軍は断ったはず、早速に伊達領に帰られよ。と伝えい」
宗直の元に使者が走る。
「援軍は断ったはず。早速に伊達領に返られよとの事でござる」
宗直が笑みを浮かべ答える。
「帰って信愛殿に伝えよ。南部勢だけでは心許ないゆえに、ここを動かぬとな」
それを聞いた信愛は怒った。
「伊達陣近くに鉄砲を射ちかけい。ただし、命中させるな。脅し程度でよい」
伊達の陣所近くに、銃声が響いた。
宗直が微笑を浮かべながら下知を飛ばす。
「来たか! 一番隊、少し相手して参れ」
伊達勢の一番隊が、無理に突っかける。
最初のうちは馴れ合い程度で槍合わせが続いた。
しかし、一人二人死傷者が出るにつれて、いつの間にか主力同士の戦闘状態に発展。
この瞬間、伊達は南部を攻める口実を掴んだのであった。
『三日月の丸くなるまで南部領』とまで謳われた、陸奥の国。
その、南部領「陸奥国」を手中に収める日は、そう遠くはない事を確信した。

広大な領土として謳われた「三日月の丸くなるまで南部領」

南部信直の治める南部領は、北は、青森県下北半島そして、南は岩手県和賀までに至る。
この広大な版図を歩いて渡ると新月が満月になってしまう程に時と要してしまう。
そのため、この広大な南部領は、「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われ親しまれた。
確かに石高からすると大きくはないものの、面積と南北の距離が長い版図を持つ南部氏は、国の統制に苦慮したことが窺われる。
実際には、和賀一揆や九戸政実の乱など、国人衆の反乱に度々悩まされている。

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