①狂乱の島津忠恒、三成を襲撃。

明朝、伏見島津屋敷は物々しい雰囲気に覆われている。
「わしは、父上がどう思っておるか分からんが、西にも東にも付く理由もないし、付く気もない」
「島津が天下を取る・・こうでもせんと父上は動かぬ、なんならわしが指揮をとってもよいがな」
島津忠恒(しまづただつね)は不敵な笑いを浮かべて叫ぶ。
「よいか皆のもの、これより伏見を出て薩摩へ帰る。邪魔な者は全て斬り捨てい」
薩摩武士が声を上げる
「おう!」
三成も忠恒が脱出を図ると予想はしていたが、薩摩屋敷には百人程しか兵がいなかった。
対する石田勢は舞兵庫を隊長に五百名の監視体制を敷いており兵力差があるため油断していた。

グイシーマンズ(鬼石曼子)の恐怖!太刀打ちできない石田

先の九州制覇戦でも、関白、豊臣秀吉の大軍団を相手に一時は、勝利した島津軍である。
当時最強と謳われた島津兵一人に、並みの軍団なら四人~五人で互角と言っても過言ではない。
実際、朝鮮の役では島津勢四千人で明軍二十万を破り鬼石曼子(グイシーマンズ)と恐れられた。
中国の民話に登場する鬼石曼子という鬼は、島津義弘の事である。
舞兵庫率いる石田勢が、圧倒的な人数にて島津勢を取り囲んだ。
しかし、島津勢の強さの前に、バタバタと死体が転がる。
何とか阻止しようと、舞兵庫自身が島津勢に接近したその刹那。
「すわっ」
薩摩人特有の掛け声が響き渡った。
島津兵の一人が馬上より兵庫の首筋を斬り裂き、そのまま走り去る。
島津兵には薩摩体捨流の使い手が多い。
兵庫が落馬すると同時に、石田勢は後退し始めた。
<ふん、相手にならんわ>
忠恒はなんなく堺へ辿り着き、海路を悠々と薩摩へ帰って行った。

続きを読む
第1章・九州の覇者 目次へ


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です