1.「島津義弘」の壮大な計画、天下三分の計。

軍議二日目、主に戦略が論議された。
内容は、以下の通りである
・義弘が、西に付き石田三成に詫びを入れ東西決戦を長引かせる。
・東西決戦の間に忠恒を総大将とし、九州制覇を行う。
・義久は薩摩に残り、本国の守り及び、他家への調略を行う。
・忠元は伊達政宗との連携を行う。
この役割分担は完璧と言えるだろう。

2.島津忠恒を総大将に九州制覇の機運が再び高まる。

意欲ある忠恒には九州制覇を、武勇誉れ高くかつ、交渉巧者の忠元を伊達政宗に。
腰を据えて行う本国守備を兄の義久に。
まさしく適材適所である。
主な役割分担が決まったが、問題も多々ある。
例えば、九州制覇の場合、九州には強敵が多い。肥後の加藤清正、豊前中津の黒田長政の父、黒田如水などがいる。
特に如水は要注意である。彼の老人は密かに天下取りの野望を抱いている。
秀吉にして、最も危険な男と言わしめた野心家であり、この動乱に付け込まぬ筈はない。
九州には西に付く大名が多いと想定されるが、これらを如何に利用するかで九州制覇の成否が問われる。
そのために義弘は、一時的に三成に謝罪するのであった。
さらに義弘は勝利の暁後の構想も詰める必要があるが、まずは徳川封じに集中することにする。
朝鮮出兵のダメージ回復がされない中であるが、士気は頗る高い。
「以上じゃ」義弘の短い締めの言葉を最後に、諸将は早速行動を開始する。
九州制覇戦から十二年。慶長四年、遂に最強島津が動き始めた。

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第二章・1・天下取りの夢 | 奥州の独眼竜、伊達政宗の血が騒ぐ


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