「島津忠恒」率いる九州連合が小早川秀秋を追い詰める

島津勢が、小早川勢、京極勢に攻撃を開始した。

京極高知は、ここを死に場所としているのか、必死に交戦する。

しかし、小早川勢は防戦一方である。

その時、小早川よりの使者が現れた。

使者が慌しく話す。

「わが小早川勢は、島津家と戦う気はござりま 。・・」

忠恒は、話半ばで遮り、冷たく言い放つ。

「先日、心置きなくかかってこられよと言った筈じゃ」

「小早川勢にその気なくとも、戦闘中だという事を忘れるな!!!」

忠恒の背筋が凍る声に恐怖し、使者は慌てて立ち去った。

その間も、島津は攻撃の手を緩めていない。

そして、とうとう敵である両軍が敗走に入った。

京極勢は敗走するまでは、島津軍相手に最後まで闘った。

小早川秀秋(金吾中納言)の最後。

忠恒が指示を出す。

「京極勢は放って置き、全軍秀秋の首に集中せよ」

島津勢が敗走する小早川勢に殺到する。

それから数時間後、秀秋を討ち取ったという報が入った。

小早川秀秋、秀吉の妻、北ノ政所の甥として豊臣家に入ったが、秀頼誕生のため瀬戸内の名門小早川家に養子の身となる。

その後も、朝鮮の役にての軽率行動を咎められ減封されるなど、さまざまな不運に出くわした男でもある。

哀れではあるが、これも運命だったのであろう。

秀秋を討ち取り勝どきが上がった瞬間、島津は山陰の石見、出雲の一部の版図を塗り替えた。


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