関ヶ原で勝利を収めたものの、肝心な石田三成の首がない。
家康が大坂城入りしてから間もなく、中原における西軍の残存勢力一掃がほぼ終わった。
残る中原付近勢力としては、毛利輝元の中国、宇喜多秀家の備前美作のみである。
秀家は命からがな備前に逃げ戻り、岡山城に篭城している。
この時、丁度秀忠率いる中山道を進んでいた別働隊三万が大坂城に着いた。
家康の機嫌は悪い。
「この馬鹿者めが、一体何処を寄り道しておったのじゃ」
「申し訳ござりませぬ。真田の信州上田城攻めに手間取っておりました」
「父上、しかし良いものを持って参りました」
「なんじゃ!」
遅参で大目玉を食らう徳川秀忠は、本田正信に目配せした「他言はしておりませぬ」
家康が驚く。
「これは、三成ではないか?」
「はっ、なりゆきで殺してしまいましたが、他言しておりませぬ」
秀忠軍が関ヶ原に到着した時は、既に勝敗がついた後であった。
本多正信がこの失態の代償として三成の身柄をと、秀忠に進言した。
そのおかげで、家康の怒りは多少和らげる事が出来た。
今、三成が死んだと分かったら、福島正則以下、豊臣子飼いの武将の怒りが覚めてしまい、家康に反旗を翻すは必定。
そのためにも、三成は今暫く生きておる事にしなければならない。
「秀忠!正信に感謝致せ」
家康はどうせ秀忠ではなく、正信が知恵を与えた事を見抜いていた。
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