関ヶ原の戦いと時を同じく、東北の関ヶ原、九州の関ヶ原も勃発。

西軍が東軍の大坂城攻めの噂を信じた。

そして、先回りをするため関ヶ原に移動した。

ここ関ヶ原は、中山道が東西にはしり、北には北国街道、南には伊勢街道という交通の要所で、昔は不和の関が置かれていた。

その中心を囲むように山々が連なり、北には南宮山、南には松尾山が存在する。

その山々を利用し東軍を待ち伏せし、袋の鼠状態としたところで一気に決着をつける作戦であった。

対する東軍は、そんなことには構わず、その袋の中へ堂々と入ってきた。

東西合わせて二十万近いという軍勢が、この狭い空間に集結した。

優位な陣形となり手を叩き喜ぶ三成。

それも計算の内とほほ笑む家康。

歴史上最大の戦いが、今口火を切ろうとしている。

そして、それを待っていたかのように、九州の島津、奥州の伊達政宗が隣国に攻め込んだのであった。

 


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