石田三成のもとに謝罪に訪れる義弘。

西軍が怒涛の攻撃に出た。
大谷吉継を大将に北陸方面に。
立花宗茂を大将に伊勢方面に、そして、毛利秀元を大将に近畿の対向勢力一掃を行った。
この日、島津義弘が以前忠恒が起こした伏見事件の謝罪に来ている。
三成は丁重に許した。
忠恒ではなく義弘が訪れたのだから文句は言えない。
それに島津が味方になると思ったからである。
しかし、三成の表情が突然険しくなった。
「以前の件については謝罪致す。しかし、島津は三成殿のお味方するわけには参らぬ」
「それは、敵に回るということでござるか?」
突如、三成は先ほどと一転して言葉使いが変わった。
「そうではござらぬ。そこもとの敵にはならんと思うがの。それではごめん」
義弘は、立ち去った。

石田三成に過ぎたるものが二つ

左近、義弘を生かして帰すな!」
左近とは島左近勝猛の事で、鬼の左近と呼ばれている。
家康曰く、“石田三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城”。
島の左近は、島左近であるであり、佐和山の城は、三成の居城「佐和山城」である。
聡明な左近は、諫言する。
「それはなりませぬ。義弘殿は決して敵にならぬでござろう」
「言い切れるか!」
「それに、追っ手を差し向けても、返り討ちにされましょうぞ」
「島津を怒らせてはなりませぬ」
左近が静かに首を振った。

次回は、いよいよ関ヶ原の戦いが始まる、「第三章・7・東西対峙」をお楽しみに


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