豊臣五大老、五奉行にて七人を味方に付けた「石田三成」であるが?

石田三成は満面な笑みを浮かべていた。

それもそのはず、味方についたのは毛利輝元、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継、長曾我部盛親、立花宗茂等、西国の大大名ばかりである。

毛利中納言輝元、毛利百二十万石の総帥であり、もちろんその一門も加わっている。

一門としては吉川広家、小早川秀秋。

この両家は、いずれも川の一字を持つ事から毛利両川と呼ばれ、先々代の名君、元就の時代から毛利の両川体制として毛利本家を支えてきた。

しかし今は、一川のようなものである。

その理由は、小早川家は秀秋の代になり、かの有名な智将、小早川隆景が率いたかつての精強さがなくなっている。

それでも一応兵数は多い。

宇喜多中納言秀家、備前美作五十三万石で豊臣五大老の一人である。

年齢は若いが正義感が強く、凡将ではない。

小西宇土ノ守行長、肥後宇土二十一万石。

三成の盟友であり加藤清正とは犬猿の仲である。

大谷刑部少輔吉継、鶴賀五万石で三成一番の親友である。

家康との戦いを諌めたが三成の決意の固さを知り、身命を賭す事にした。

盲目であるが、秀吉が認めていた軍略の才がある。

その他、小大名、豪族も加えると家康軍を凌ぐ大軍勢となる。

しかし、長曾我部盛親、毛利両川の吉川、小早川等は、必ずしも三成を支持しているわけではなかった。

 


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