伊達政宗、七尾港に入り海外貿易に想いを馳せる

家康が加賀へ向ったことを確認し、伊達政宗も海路で加賀へ向った。
政宗は、伊達軍本隊と日本海側水軍の将「秋田実季」率いる秋田水軍を率いて能登「七尾湾」に入った。
ここ七尾湾は、能登島が天然の防波堤となっており、日本有数の港町が存在する。
政宗は、七尾南湾である石崎という漁師町に立ち寄った。
石崎とは、夏祭りで有名な石崎奉燈祭りがある町である。
政宗は、七尾湾の地形のよさに驚いた。
「ここは、日本海でありながら、能登島が存在するためか静かで見事な港じゃな」
政宗は、将来の中国大陸、ロシア等の貿易を想い浮かべた。
<前田殿は、良き港を持っておる>
能登にも所領を持つ前田家は、この後、見事な貿易国になる事を確信した。
それと同時に政宗は、奥州へ帰り次第、仙台に日本一の港を築く事に想いを馳せた。
七尾の魚を食べながら、政宗は、久々に心が和んでいる。
<明日は、いよいよ加賀か・・>
政宗は、明日以降行われる、家康との対面に心を引き締めた。

七尾城跡から見る七尾港

史実における七尾の歴史

戦国末期、前田利家が能登「小丸山城」に入る以前の「七尾」は、能登畠山氏が七尾城主として能登を支配していた。
畠山氏は、平清盛と同じく桓武平氏の流れを組む名家として能登国守護となり七尾城を築く。
栄華を極めた畠山氏であるが、1576年(天正4)上杉謙信の西上が本格化。
謙信は、上洛する過程で春日山城と共に五大山城に数えられる堅城「能登七尾城」を、放置するわけにはいかなかった。
織田信長との決戦の前に、七尾城を落としておきたい謙信は、遂に七尾城の攻城戦に着手する。
これが、「九月十三夜」で有名な『七尾城の戦い』である。
その後、七尾城を攻め落とし「手取川の戦い」にて織田信長軍を破った謙信も志半ばでこの世を去る。
謙信亡き七尾には、織田信長配下の『前田利家』が入るが、山城の不便さを理由に七尾湾に近い平地の『小丸山城』を築き「七尾港」を整備した。
フィクションである「薩摩の風に送られて」においては、その七尾港に伊達政宗が寄港した設定となっている。

桓武平氏の流れを組む「畠山氏」の居城「能登七尾城」

第10章・5・いざ金沢へ | 薩摩島津軍、北陸参上


2件のコメント

NHK大河ドラマなどでも度々登場する『平清盛』の戦い · 2022年2月27日 3:01 PM

[…] 平氏四流派の中で、桓武天皇の子孫にあたる「平」姓を賜った家系を指す平氏を、桓武平氏と呼ぶが、葛原親王(かずらわらしんのう)の孫『高望王』(たかもちおう)の流れを組む平氏を特に『桓武平氏』と呼んだ。織田信長や薩摩の風に送られて・第10章④で登場する七尾城主「畠山氏」も桓武平氏の流れを組む。 […]

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