家康がいないが秀忠の出陣により、小倉より義弘も中国下関に入った。
忠恒に配慮し、出雲までは出張らなかった。
義弘は、これからの世代を担う忠恒の邪魔をなるべくしたくなかったのである。
そのかわり義弘は、加藤清正を通じて豊臣方と連絡を取り合った。
その一つが、前田家の動きに繋がっている。
その時丁度、政宗率いる独連の敗北の報せを受けた。
<まずいな>
もし、独連が家康に撲滅されると、徳川は北に敵がなくなり全てを南に集中する事ができる。
そうなると、義弘の構想は水の泡となってしまう。
軍事を忠恒に一任する義弘は、筆で忠恒を援護する。
そして、豊臣家に対し上杉家に独連の援護の要請を行った。
第九章・最終戦争 | 毛利輝元、吉川広家を追い詰める九州連合
第9章・13・裏切り | 広島城遂に落城する
広家からの書状が届いた次の夜、秀包が島津勢を広島城内部に導いた。輝元の 続きを読む…
1件のコメント
上田城攻めの失態が頭から離れない秀忠 | 第9章・3・汚名返上 · 2023年2月19日 12:51 AM
[…] 忠恒に将来を期待する義弘 | 第9章・4・義弘と忠恒 […]