1.加藤清正と会うため、唯一人乗り込む、島津義弘

島津義弘(しまづよしひろ)が熊本城へ来た。
九州で唯一島津の手に落ちていないのは、ここ熊本だけである。
天下の堅城「熊本城」(くまもとじょう)と、猛将、加藤清正(かとうきよまさ)であるからこそ、ここまで持ち堪えていられたのである。
熊本城は、騒ぎになった。
島津義弘自らが、わずかな護衛のみで熊本城に入ったからである。
加藤清正の子、正影が勇む。
「父上、いい機会ではござらぬか。義弘を人質にとれば挽回できるかも」
清正が怒る。
「馬鹿もの、そんな卑怯な真似が出来るか!」
「しかも、義弘殿は交戦中の敵中へ、僅かな人数で来ているのだぞ」
「丁重に通せ」
義弘が入って来た。
「清正殿、久しゅうござるな」
清正が丁重に応える
「はあ。こんな形で会うとは思いもよりませなんだ」
清正は、義弘を尊敬している。
朝鮮の役でも、義弘が二十万の明軍を破らなかったら、日本軍は皆殺しになっていた可能性が高い。
清正以外でも、義弘は多くの武将から尊敬されていた。
関ヶ原での敵中突破時、東軍が道を開いたのも、そういう経緯があったからである。
「ところで、清正殿。秀頼様が家康に大坂城を追い出された事を知っておられるのか?」
「そ、それは誠でござるか?」
「宇喜多殿の岡山城へ避難したらしい」
清正が珍しく動揺する。
三成嫌いから家康に力を貸そうとしたが、豊臣家第一である思いは変わらない。
「清正殿がいなければ、豊臣家は滅亡しますぞ」

名城「熊本城」

2.義弘曰く、加藤清正と福島正則は、まだまだこの時代には必要である

清正は考え込む。
<なんという、馬鹿なことをしてしまったのじゃ>
義弘は、清正に伊達との連携の話、将来の構想、もはや豊臣家天下ではない事を話した。
「もはや如何あがいても豊臣家の天下はない。それでも豊臣家を一大名として存続は出来るのではないか?」
義弘は清正を見つめた。
「おぬしや、福島殿がおればな」
清正が義弘に何かを頼もうとしたが、言い出せない。
現在、敵である者に頼み事をするなど出来ないのであろう。
そんな清正の心中を察して、義弘が口を開いた。
「清正殿、岡山へ行きなされ。その間は島津が責任もって援護しますぞ」
清正はさらに考え込む。
そこで義弘が少々力強く言い放った。
「迷っている時ではござるまい」
清正が涙する。
「かたじけない」

第七章・5.関門海峡を超える風 | 島津義弘、加藤清正と共に周防・長門へ


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第七章・3・正則移封 | 怒れる福島正則、中国へ奔る · 2023年2月17日 11:32 PM

[…] 4.清正の涙 | 島津義弘、単独で加藤清正の熊本城へ乗り込む […]

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