火を着けておいて、火を消しに行く、は「家康」の十八番である。

秀頼暗殺の噂を聞いた淀の方は、家康に大坂へ来るよう側近の大野治長に伝えた。

その後、家康が来る。

治長が家康に問う。

「家康殿に聞き捨てならぬ噂が流れておりまする」

「はて?どういう噂かの」

「家康殿が秀頼様を暗殺しようとしているとの噂でござりまする」

「なんで、このわしが秀頼様暗殺などを。伊達や島津ではないのか?」

その時、部屋の外側が騒がしくなった。

治長が叫ぶ。

「何事があったのじゃ」

「はあ、今ほど間者が入り込み、守兵を斬り去って逃げ去りました。

家康へ一斉に冷たい視線があびせられた。

「やはり、家康殿が!」

家康が答える。

「もしわしだとしても、なぜ自分自身がいる時に実行するのじゃ」

且元が囁く。

「それも、そうですな」

家康が恫喝する。

「伊達あたりがやった事をわしのせいにするとは。無礼にも程があるわ」

この一言で、豊臣家臣は静まり返った。

豊臣家臣団は間違いなく家康だと確信している。

しかし、これ以上の追求は出来ない。

家康としては、大坂城を支配しているのは自分で、暗殺など簡単とばかりに豊臣方に圧力をかけたのだ。

家康の退室後、且元が秀頼に進言する。

「秀頼様、ここはあぶのうござるぞ。一旦どこかに避難されては」

徳川家康、本田正信の老獪さを知るのは、増田長盛くらいなものである。

そこに、筋書き通り奉行の増田長盛が飛び込んできた。

「家康殿は大阪城に三万の兵を入れ、毛利殿は安芸へ帰国しましたぞ」

この報がとどめとなった。

関ヶ原の戦いまでは毛利輝元が大坂城の城代的存在であったが、戦いが終わると減封された本国である安芸へ帰って行った。

淀の方が狼狽する。

「秀頼殿、且元殿の申す通り、どこかへ避難致しましょうぞ」

そして秀頼は大坂城を出て、宇喜多秀家の岡山城を目指した。


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